スレン市内にあるコンクリート地区四十一号は大通りを挟んで大小様々な店が並び、商店街や公園もあってそれなりに賑わいのある地域だった。しかし今は崩れた壁やガラスが一帯に散乱し、薄暗く澱んだ空気が流れている。
立ち並ぶビルの一つに日焼けした看板の跡があり『フレデリック 最高のパンケーキの店』と辛うじて読み取る事ができた。この地区がまだ街として機能していた頃には甘い香りが漂っていただろうその店の前に一台のワゴン車が停車している。
『Aブロック完了。Bブロックへ移る』
『了解。Cブロックもあと三分で片付くわ』
電子的な音声の会話が静けさの中響く。
車体に寄り掛かっていた人影は少し暇そうに体をもぞもぞと動かした。腰に下げたホルダーから通信機を取り出し、新たな報告を待ちながら数メートル先のビルへ視線を向ける。
『Dブロック完了しました。悪いクロイ、いくらかそっちに逃げちまった』
通信機を弄んでいた手が動きを止め、画面下にある通話ボタンを押下した。
「了解。すぐ対応する」
通信機をホルダーに戻し、体を起こして軽く伸びをする。間もなくビルの上空に小さなシミのような影が現れた。影は左右に伸びたり縦に膨らんだりしながら段々と大きくなり、意思を持った一塊の煙という感じだ。加えて奇妙な雑音も聞こえ始める。ブンブンという虫の羽音と金属が擦れあう音が混ざった不快な音だ。
やがて煙を構成する物の姿がはっきりと見えてきた。人の頭程もある巨大な虫だ。体は金属の光沢を放ち、立方体や球体、その他ちぐはぐな多面体の形をしていた。どの虫にもコウモリに似たギザギザの翼と細い脚が複数生えていて、左右に開く顎は大きな鋏のようだ。そして体の中心に「幹(かん)」と呼ばれる光る球体が納まっていた。
不意に先頭の虫が前進を止めた。幹に浮かぶ黒目がギョロリと動き、しばらく周囲を伺った後こちらの姿を捉える。その一匹が方向転換すると群れ全体が一斉に急降下し始めた。
「いいよ、そのまま来い」
飢えた虫達が狂ったように飛んでくる様子に僅かな笑みを浮かべる。静かに両手を広げ、マッチを擦るような動きで掌を擦り合わせると、彼の深い青色の瞳が輝いて周囲に黒い泡の粒がいくつも現れた。泡は互いに引っ付き合って拳程の大きさに成長したと思うと、中央から大きく裂けて銀色に光る牙を覗かせた。
「カム!」
彼が謎の言葉を放つと無数の泡は虫の群れの中に飛び込んでいった。鋭い牙で虫の硬い体を物ともせず噛みつき、翼を千切り、砕いた体を飲み込んでいく。恐れをなした数匹が群れを離れ逃げ出したが、彼は素早く泡に指示を出し最後の一匹まで喰いつくさせた。
羽音が止んだ。冷静に耳を澄まし周囲に視線を巡らせる。どうやら全て片付いたらしい。強張った肩の力を抜いて息を吐くと、彼の口から黒い煙が一筋ぽかりと立ち上った。
「よし、戻れ」
手を叩くと同時に全ての泡が弾けて消えた。彼は通信機を再び手に取って通話ボタンを押す。
「こちらEブロック。はぐれ組の退治が完了しました」
『了解。他ブロックも完了済みだ。全員集まっているから、このままEブロックに移動する』
「了解しました」
通信を終了すると辺りはまた静けさに沈み、灰色の埃っぽい風が地面を舐めるようにゆっくりと流れて行った。