CO地区四十一号は周囲を高いフェンスに囲まれていた。一か所だけの出入り口は鎖と南京錠で厳重に施錠され、立ち入り禁止のプレートが掛かっている。リーダーは一旦車を降りて南京錠と鎖を外した。扉が解放され再び車が走り出すと、急に空気が冷え込んで進むほど澱んでいくように感じられた。
道路沿いにビルや店舗が並ぶ光景はよく見る街並みと変わらない。しかしアスファルトはひび割れ、至る所に割れたガラスやコンクリート片が散らばっている。建物の戸口や窓は木の板で塞がれていた。そして何より不気味な程静かだった。
荒んだ道をしばらく行くとスーパーだった建物があり、隣接した駐車場の跡地で三人は車を降りた。建物の表へ回ると短い階段を昇った先に自動ドアが開いたままになっている。
リーダーを先頭にして中へ踏み込んだ。クロイは悪臭に備えて袖で口元を抑えていたが、意外にも店内は片付いていた。多少埃っぽいものの、什器やガラスケースは殆どが空だ。
「どうやら、シェリフの作業が入ったようだな」
リーダーが店内を見渡し言った。シェリフとは特殊自然研究所に所属する後処理専門のチームだ。瓦礫や不要物の回収、ルーグ災害が発生した区域の隔離や復旧作業など幅広く活動している。
「だが物はまだ残っているし、劣化している所もあるから注意しろ」
窓から差し込む光が店内をぼんやりと照らしている。剥がれた床板に気を付けながら木製の棚とガラスケースの間を進んだ。突き当りで左へ曲がると背の高い商品棚が列を作って店の奥まで続いている。
リーダーは薄暗い中でも迷う事無く歩みを進めた。倒れた棚を回り込み、床の穴や外れた照明器具を避けて通る。障害物を見つける度に頭を下げるタイミングや、足を踏み出す場所にも細かく指示が飛んだ。クロイとシャビは懸命にその指示に従ったのだが、何度も躓いて頭をぶつけた。店の半分を過ぎる頃には二人とも擦り傷だらけだった。
「それにしても、ルーグ災害から二年経ってまだそのままの建物があるなんてな」
シャビが段ボールを脇へ蹴飛ばしながら言った。
「災害から三か月くらいでマンションの建設が始まった所もあったしね」
過去に報道されたニュースを思い返してクロイも頷く。
「そうだな、最近はルーグ災害の頻度が高く、復旧に手が回らないというのが正直な所だが」
二人の会話を聞いてリーダーが苦笑する。
「ルーグは一度発生した所に巣を作り、周辺の建物や金属を食べ尽くすまで留まるんだ。その習性を利用して地域ごとルーグを隔離し、少しずつ数を減らす。その間に優先度の高い地域を復旧させる。被害を最小限に抑えつつ、ティスアの街を維持する為に必要な犠牲でもある訳だ」
次の角を曲がった所でリーダーが足を止めた。通路の向こう端に何か立っている。
縦に細長く、上部が放射状に分岐して、一本一本が風もないのに揺らいでいた。樹木の様なシルエットは目を凝らすと人の物だと気づく。うねる六本の枝は鋭い鉤爪が付いた蜘蛛の脚で、Tシャツの背中が編み上げになった紐の間から生えていた。透ける肌は薄明りの中で白く浮かび、肩に掛かる髪の毛の先が青く染められていた。
「待たせてすまんな、ユウナ」
リーダーが呼びかけるとその人物が振り返った。突き刺すような眼差しにクロイはどきりとする。長い前髪が彼女の右目を隠していたが、片目だけでも十分な迫力だ。ユウナは数秒こちらを凝視し、相手が誰かを悟ると僅かに表情を緩ませる。
「お疲れ様です。まだ動きはありませんよ」
三人がまた歩き出す。ユウナもこちらへ歩み寄ってきた。彼女が踏み出す度にハイヒールがコツコツと床を叩いた。太腿を見せつける大胆なショートパンツから伸びる足は、踵から脹脛にかけて細かな棘が生えていた。近くで向かい合うとギュートより少し低いものの、クロイとシャビが見上げる程の長身だ。
「二人ともよろしく。一応サブリーダーを務める事になるわ」
ユウナは膝を曲げて二人に視線を合わせながら挨拶した。
「さて、四人揃った所で本題に入ろう」
リーダーは新人二人を手招きし棚の向こう側を指差した。クロイとシャビは棚に体を貼り付かせながらそっと覗き込む。
そこは会計用のスペースだった。数字の形をしたライトが一から五まで順番に天井から吊り下がり、その下に同じ数だけレジカウンターが並んでいる。手前にはガムや飴を並べる陳列棚とドリンクの保温ケースが置かれ、奥の壁際には商品を袋詰めする台も見えた。
今は人が並ぶ事のない寂しい空間かと思いきや、視線を移すとすぐにその考えは吹き飛んだ。カウンターや壁のあちこちに巨大な何かがへばり付いている。岩と見間違うほど大きくゴツゴツしており、歪んだ箱に円筒を無理やり繋ぎ合わせた様な奇妙な形状だ。円筒の奥からはキリキリと何かが擦れ合う不気味な音が漏れていて、二人は思わず身震いした。
「あれがルーグの巣、通称ノイズポットだ。発見した時より随分成長しているな」
棚の裏側に身を隠すとリーダーは二人の顔を交互に眺めた。
「二人ともルーグ退治の実習は受けているな」
その瞬間、クロイの心臓が大きく跳ね上がった。とうとうフォルカンとしての一歩を踏み出す時が来たのだ。拳を強く握り締め、深く息を吸って湧き上がる不安を抑え込む。
「はい。訓練場での模擬退治を経験しています」
吐き出した声は少し震えていた。それでもリーダーの目を見据え、はっきりと答える。シャビも決意の表情を浮かべていた。
「よし」
リーダーは満足そうに頷いた。
「もちろん実習と現実は異なるが、オレ達が先導するから安心しろ。それじゃあ、始めようか」
リーダーは静かにその場を抜け出した。近くのカウンターまで一気に距離を詰め、腰のホルダーに手を伸ばしてL字型の器具を引き抜く。ルーグの動きを封じる特殊なカプセルを発射する道具で、射出口に対して持ち手の方が長い作りになっていた。
冷静に狙いを定めてグリップを引く。発射されたカプセルはノイズポットの側面に刺さると衝撃でチカチカ点滅し始めた。点滅の速度は段々と速まっていき、数秒後に激しい電流を発生させる。ノイズポットから閃光と煙が上がり、先程まで聞こえていた音が止んだ。
「油断するなよ。今の電流で停止できなかったルーグが出てくるぞ」
言葉通りにキリキリという音が再び激しくなったと思うと、円筒の先から金属色の虫が飛び出した。体の中心にある幹が不気味に青く光っている。黒目が敵を探して動き、大顎が激しく開閉している。コウモリに似たギザギザの翼が、羽ばたく度に無機質な輝きを放った。
ギュートはすぐさま右手を突き出して最初の一匹を鷲掴みにすると、そのまま握り潰した。次の一匹は翼を掴んで振りかぶり、同時に二匹三匹と弾き飛ばす。怒り狂うルーグが彼に齧りつくが、動じることなくそれらを払い退け次の巣へカプセルを打ち込んだ。
「次は私が行くわ。二人とも心の準備が出来たらおいで」
悪戯っぽく笑ってからユウナが駆けていく。彼女はルーグの群れに飛び込むと右足を高く上げた。踵を素早く振り下ろし、脹脛の棘でルーグの体を傷つけながら蹴散らしていく。更に背中の蜘蛛脚が傘のように大きく開き、次の瞬間素早く縮んで鋭い鉤爪で獲物を貫いた。沢山の虫の中を自在に動き回る様子は踊っているかようだ。
「凄い・・・」
新人二人は息を呑んでリーダー達の戦いを見守っていた。辺りは飛び回るルーグで灰色に染まっている。どこに何があるかも判別が難しい中、時折その灰色のヴェールに穴が開いて、ギュートやユウナの姿を垣間見る事が出来た。
今までフォルカンを目指して多くを学んできたが、実際にルーグの群れを目の当たりにすると足がすくんだ。先程の意気込みも弱弱しく霞み、心臓の鼓動に掻き消されてしまいそうだ。それでも・・・
「やっぱり格好良いよね」
クロイはやや表情を強張らせながら素直な思いを口にする。そこにいるのは間違いなく、ずっと憧れていたフォルカン達の姿だ。
「そうだな」
シャビが笑って頷いた。
「行こう」
「うん!」
二人は同時に走り出した。
シャビは走りながら徐に背中へ両手を伸ばし、前翅を引き抜いた。そのまま勢いよく前へ振り下ろすと、透き通る翅は対の刃へ変化する。更に後翅を震わせて飛び上がり、軽い身のこなしで次々とルーグを切り捨てていった。
続けてクロイが腕を上げ、掌を強く擦り合わせると周囲に黒い泡粒が浮かんだ。泡は互いに引っついて拳程の大きさへと成長し、やがて中央から裂けて銀色の牙を覗かせる。
「カム!」
振り上げた手の動きに合わせ、雲のように塊となった泡がルーグ目掛けて突進した。虫の群れを包み込み、四方から牙を突き立ててバリバリとその体を噛み砕いていく。
シャビが高く飛んで天井付近のルーグを切り裂いた。すかさずクロイが泡達に指示を出し、落ちてきたルーグへとどめを刺す。
全てのノイズポットにカプセルが撃ち込まれた。飛び回るルーグで視界は遮られ、背筋を逆撫でする音が思考を鈍らせる。気を抜くと恐怖に呑まれてしまいそうで、クロイは考える事を止めてひたすら動き続けた。一心不乱に走り、腕を振りあげ、泡達を誘導する。
リーダーの拳がノイズポットごとルーグを砕く。ユウナがカウンターを踏み台に跳び上がりルーグを蹴り飛ばした。シャビも飛びながら刃を振るい、皆の足元には金属色の虫の残骸が積もっていった。
気が遠くなる程長い時間が経った気がした。
クロイは激しく息をしながら天井を見つめていた。立っているのが不思議な程全身が疲労している。シャビもすぐ横で床にへたり込んでいた。
背後で虫の羽音が聞こえ、慌てて振り向こうとするが体が思う様に動かない。バランスを崩してよろめくと、グシャリという音がして最後のルーグがハイヒールで串刺しにされた。
「あ・・・ありがとう、ございます」
切れ切れに礼を言う。サブリーダーは小さく微笑んで、ショートパンツのポケットからタオル取り出しヒールを拭った。
「二人とも、初仕事はどうだった?」
「え、ええと・・・とにかく大変で、疲れました」
「オレもヘトヘトとで一歩も動けませんよ」
弱弱しく二人が答えるとユウナは声を上げて笑った。
「確かに、配属初日にしてはハード過ぎたんじゃないですか?」
ユウナが諌めるような視線をリーダーへ向けると、ギュートは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「すまない、想定よりノイズポットの成長が早くてな。だが二人とも良い動きだったよ。学校側から聞いていた評価以上だ」
クロイとシャビは顔を見合わせ、荒い呼吸の中で精一杯の笑顔を返した。
「後始末はオレとユウナに任せて、お前達は休んでいてくれ」
新人達は互いに支え合いながらヨロヨロと壁際へ移動した。床板の剥がれていない場所を見つけ出し、サッカー台を背に座り込む。積もっていた砂と埃で服はすっかり白くなってしまったが、火照る体に冷たい床が心地良かった。
さっきまで走り回っていた場所では既にリーダーとサブリーダーが作業に取り掛かっていた。ナイフでカウンターからノイズポットを切り離し、切り口に金属繊維が織り込まれたテープを貼って塞ぐ。リーダーがカウンターを動かして床のスペースを広げ、そこに切り離したノイズポットとルーグの残骸が積み上げられた。落ちている段ボールやカゴを端に寄せ、倒れた棚を引き起こして通路を確保する。最後にリーダーがシェリフに電話し、残骸の回収要請をすれば業務は終了だ。
クロイは鈍く光る虫の山を見つめながら静かに息を吐いた。薄っすらと黒色の煙が立ち昇る向こうに携帯電話で話すギュートの姿がぼんやりと霞んで見えた。